コロナ禍を「いい勉強の機会になった」と前向きにとらえる加藤源司さん=富山市内で |
加藤 源司さん(45)
新型コロナウイルスの感染拡大予防で外出自粛を求められた住民に「外食店の味」を届ける「テイクアウトマルシェTOYAMA」。ドライブスルー方式の弁当販売は富山市内から県内外へ広まった。実行委員会の加藤源司代表(45)に思いを聞いた。(聞き手・松本芳孝)
−始めた経緯は。
店を開いても客は来ない。そんな中で富山市内の飲食店仲間が「今、自分たちに何ができるのか」を考えた。三密回避などを考えると、テークアウトが自分たちにできる唯一のサービスという結論に達した。
お客さんにとっても外出自粛はストレスがたまる。ちょっとぜいたくな雰囲気が味わえるテイクアウトマルシェを喜んでくれると思った。
一九七〇年代の映画「アメリカン・グラフィティ」でローラースケートを着けた女性が駐車している車の間を走り回って注文を聞き、商品を配るようなイメージで始めたが、初期はもたついて大変だった。車の列の先頭から順に注文を聞いて商品を渡す方式に落ち着いた。
−富山市内にとどまらずどんどん広がった。
富山市内で始まり、魚津、黒部、射水など県内や、金沢市のほか八道県でも開催された。各開催地から、会員制交流サイト(SNS)などを使って問い合わせてきた人や、会場に直接足を運んでノウハウを聞いていった人もいた。全国どこも飲食店の苦境やお客さんのストレスは同じだと感じた。
−困ったことは。
富山市内で販売できた商品が県内の他の場所では販売できないということがあった。県の保健所と市の保健所でルールが違うようだった。他県でも同様の事例を聞いた。
−コロナ禍がもたらしたものは。
私たちはコロナを敵にしたわけではない。環境の変化ととらえ、業態変換を模索した。「テイクアウトマルシェ」は、デリバリーと、従来の客を待つ店舗型の中間ぐらいの業態だと思っている。
飲食業仲間に横のつながりができたことが何より大きい。最初、暗かった出店希望者の表情が、仲間と交流することで明るくなっていった。また、冷めてもおいしい物など、これまでになかった考えで商品を開発した。飲食店にとって大きな勉強の機会になった。
かとう・げんじ 20歳でバーの従業員となり、2003年、ダイニングバー「FUNKY’s」、その後、居酒屋「大寅」、ダーツバー「Hang out」を開店。現「BROSS WORKS GROUP」代表。県社交飲食生活衛生同業組合専務理事。
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May 18, 2020 at 03:08AM
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外食店の味 喜び提供 ドライブスルー弁当販売を主導 - 中日新聞
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