現在は日産がアライアンスを結ぶルノーを日本で販売しているくらいしか例はないが、平成初期までを中心に日本メーカーが輸入車を売るということがそれなりにあった。
しかしそのなかで大きな成功を収めたのはトヨタが売ったVWくらいである。
トヨタは1992年からDUOチャンネルでVWの販売を開始し、2010年いっぱいでトヨタとVWの販売契約は終了した。
これによりVWの販売はVWグループジャパンと各ディーラーとの直接契約となり、現在もVWを売っているトヨタディーラーはちらほらある。
当記事ではそんな日本メーカーが売った輸入車を代表な車種を交えながら振り返る。
文:永田恵一/写真:TOYOTA、HONDA、CHEVROLET、VW、LANCIA
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トヨタキャバリエ(トヨタ)

1990年代、「アメリカは日本製品をたくさん買っているのに、日本はアメリカ製品を買わない」という貿易摩擦が深刻だった。
キャバリエは貿易摩擦緩和の目的で、アメリカにGMとの合弁工場となるNUMMI(現在はテスラの工場)を持っていたなどの関係があったトヨタが販売した、当時の日本車ならカリーナやブルーバードに近い4ドアセダンと2ドアクーペを持つモデルである。
キャバリエは日本導入にあたり、右ハンドル化はもちろん操作レバーも右ウインカー、左ワイパーに改修するといったハード面に加え、CMキャラクターにタレントの所ジョージさんを起用し、価格も約180万円からと安価に設定するなど、万全の体制を敷いた。

しかしキャバリエは200万円以下の価格で2.4Lエンジンを搭載するという強みはあったものの、それ以外は全体的に同じ価格で買える日本車に劣るところが多いごく普通のクルマだった。
これではユーザーが、「素直に日本車を買ったほうがいい、そもそもキャバリエを売っていたトヨタ店でカリーナも売っている」と考えるのも当然で、販売成績は年間2万台の販売目標に遠く及ばなかった。
キャバリエで一番印象的だったのは、「なかなか約束しないけど、約束したことは守るトヨタが万全の態勢を敷いたのにそれでもダメだった」ということである。
ジープチェロキー(ホンダ)
パジェロに代表されるクロカンSUVや今でいうミニバンといった当時のRVがブームとなり始めた平成初め、ホンダのラインナップにRVはアメリカからの輸入で販売されたアコードワゴンくらいしかなかった。
という事情もありホンダはラインナップの拡充の目的もあり1991年からジープチェロキーの2代目モデル販売を始めた。

ホンダが販売したことによりチェロキーは改善ポイントが多数挙がりクルマの改良が大きく進んだほか、右ハンドルや300万円を切るグレードも導入されるようになった。
結果1994年にはチェロキーの日本での販売台数がなんと約1万1000台に達し、2代目チェロキーの日本での拡販にホンダは大きな役割を果たした。
なおホンダは自社のRVが揃うまで2代目チェロキーと同様の目的で、それぞれ業務提携を結んでいた英国ローバー社のクロカンSUVのディスカバリーのOEMとなるクロスロード、いすゞのビッグホーンのOEMとなるホライゾン、ミューのOEMとなるジャズを販売していたこともある。

シボレーオプトラ(スズキ)

スズキは当時GMと資本提携を結んでいたこともあり、2003年からシボレーブランドのSUVとなるトレイルブレイザー、2004年から芸能人がよく移動用に使っていた大型ミニバンであるアストロを販売していた。
シボレーオプトラはこの流れで2005年にスズキが販売を開始した2Lエンジンを搭載するミドルクラスの4ドアセダンとステーションワゴンで、開発は当時のGM大字(韓国、かつての大字自動車、現在は韓国GM)が担当した。

オプトラはセダンで173万2500円(ステーションワゴンはプラス10万5000円)と価格こそ安かったが、まったく特徴のないクルマだった。
それだけにほとんどの日本人は存在すら知らず、知っていたとしても前述したキャバリエと同様に、「同じ価格の日本車のほうがずっと安心」と考える方が普通で、ほとんど売れずにひっそりと姿を消した。

VWパサート(日産)
1980年代にやたらと海外進出を進めていた日産はVWとも業務提携を結び、手始めに日産が日本に持っていた座間工場においてサンタナ(当時のアウディ80と兄弟車となるエンジン縦置きのミドルクラスの4ドアセダン)のノックダウン生産を1984年から始めた。

サンタナの5ドアセダン版だったパサートがエンジン横置きとなるゴルフの兄貴分のような4ドアセダンにフルモデルチェンジされると、日産はサンタナに引き続きパサートのノックダウン生産を計画し、その前段階としてパサートの輸入販売を1990年に開始した。
当時のパサートはとにかく広いキャビンとラゲッジスペースの確保に注力した実用一点張りのクルマで、当時の日本にはそういった4ドアセダンの需要はそもそも非常に少なかった。
それでもパサートの価格が安ければ救いもあったかもしれないが、パサートはVWなりの豪華装備だったのもあり400万円近くと割高だった。

これだけのお金を出せるなら普通の日本人ならマークⅡ三兄弟やローレル、広さを重視するならマキシマやディアマンテ、BMW318iも候補に挙がることもあり、パサートが売れなかったのも当然だった。
さらにVWの日本での販売はこの頃に長年続いたヤナセと決別し、自社の日本法人主導で冒頭に書いたトヨタ系のディーラーも加えるという形態に変わり、パサートのノックダウン生産も幻に終わり、日産とVWの業務提携も幕を閉じた。
ランチアテーマ(マツダ)

マツダはバブル期にその後大ピンチに陥る大きな引き金となったマツダ店、スポーティなアンフィニ店(旧マツダオート店)、プレミアムなユーノス店、カジュアルなオートザム店、フォードも売るオートラマ店という5チャンネル制を敷くという大勝負に出た。
まったく新しいディーラーだったユーノス店とオートザム店は、ユーノス店がロードスターとコスモ、オートザム店はスズキアルトをベースに別の内外装を持つキャロルやコンパクト4ドアセダンのレビューといった顔となるクルマはあったものの、それ以外は既存のマツダ車のバッジ違いばかりで売る商品が足りなかった。

という事情もあってユーノス店ではシトロエン、オートザム店ではランチアを販売していた。
4ドアセダンでフェラーリエンジンを積んだ8.32もあった気品あるテーマ、WRCの名声を持つデルタといったランチアの販売拠点がオートザム店により劇的に増えたというのは確かに歓迎すべきことだった。
しかしユーノス店でシトロエンというのは何となく納得できるところもあるが、オートザム店でランチアを売るというのは不似合いというか言ってしまえばメチャクチャな話でもある。
さらに当時のランチアは夏場のオーバーヒートなどデリケートなクルマで、整備も日本車のようにとはいかないクルマだったのもあり、経営母体が輸入車に明るいところでない限りちゃんと扱えたのか今になると不安だ。
ただユーノス店のシトロエン、オートザム店のランチアともに1990年代後半までと、商品がマニアックなものだったのことを考えれば思ったよりも販売が長く続いた点は若干評価できる。

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March 29, 2020 at 05:00PM
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